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文字表現としての字彫りの美

文字の彫り表現を探求するため、自ら文字を書き、彫ることで表現の可能性を突き詰めた卒業制作「文字の三次元—字彫りの研究と実践—」。また2023年のムサビの入学式以来、3年にわたりムサビ生たちの記念撮影の定番となった卒入学式の立て看板。文字をテーマに制作してきたカトタクさんの原点となった経験や、卒業制作に至るまでの思考の過程についてお話を伺います。

───卒業制作作品のコンセプトについて教えてください。

大きく言うと「文字の三次元」というテーマを、文章を使わずにものとして提示するということがコンセプトになります。

そのテーマを深掘りするのに3DCGなどを使う今っぽいアプローチではなく、大昔から存在する「字彫り」に焦点を当てるアプローチをとりました。

───なぜあえて「字彫り」を選んだのでしょうか?

字彫りは「文字を彫る」という手間のかかる制作過程を経るにも関わらず、文字表現として発展することなく途絶えてしまったからです。

現在でも、石に文字や図版を彫る文化は墓石や記念碑などの需要により残っています。しかし、それらは「凹んでいれば良し」とされているため、彫りの造形性よりも、いかに早く再現性高く仕上げるかが重要視されています。 

そのため、リサーチにおいては手彫りの時代の中でも特に造形への意識が高かった、明治〜昭和初期の石碑と、中国の西安碑林公園に所蔵されている石碑の2つを中心にしました。 本作は、そうした背景を踏まえ、文字が立体になった時に表出される表現を探った作品になっています。

文字を彫ることの表現の可能性に着目した作品なのですね

───この着想自体はどこから生まれましたか?

「これだ!」という着想があるというより段々と要素が重なって、作品の方向性が定まっていったという感じです。元々、小学生のときから習字をやっていたので「卒業制作では文字系の作品を作りたい」とぼんやり考えていました。また自分の得意なこととして木を切ったり手を動かすことが好きだったこともあり、その二つを掛け合わせて「書体を作る」というよりも「文字そのものをどのようにして物理的に定着させるか」を詰めてみたいと思いました。

文字への関心と手を動かすことが合わさり、立体の文字に着目したのですね。

───そこから彫りに行き着いたきっかけがあったのですか?

古典作品を真似て書く「臨書」をする時のお手本である拓本の影響が大きいです。

拓本は基本的に図が黒、文字が白で、書く時と白黒が反転しています。なんで白黒が反転してるんだろう、と長年疑問に思っていたのですが、彫られた文字を転写しているのが理由と知ったことも大きく影響していると思います。

───今回の制作では、具体的にどのような彫りをされたのですか?

今回実践した彫りは、薬研彫り、円彫り、平彫りの3つです。これら3つの彫りは文字を凹ませる「陰刻」と呼ばれる彫りです。

薬研彫りは断面がV字になっている彫りです。薬を作るときのすり鉢である「薬研」と形が似ていることが名前の由来になっています。機械彫(サンドブラスト)では再現が難しく、手彫りならではの彫りの形ともいえます。

ちなみにムサビの近くにある「都立薬用植物園」には薬研の実物が展示されています。

二つ目の円彫りは断面が半円状になっている彫りです。その中でも浅いものを「篠彫り」と言ったりします。

明治〜昭和初期に彫られた石や、近所の神社の境内にある石(日露戦争の慰霊碑など)の多くはこの彫り方です。中国に行った際にはほとんど見られず、個人的には日本っぽい彫りだな、と思っております。

最後の平彫りは底面が平らで、側面が底面に対して垂直な彫りです。最も手間がかかるわりに出来上がりの魅力が乏しいため、ほとんど見られることはありません。

彫りにも様々な表現技法があるのですね。

───制作過程では、実際に彫るために理想の石を求めて探し回ったと伺いました。

石は入手するのが本当に大変で…笑

当たり前ですが、石は非常に重たいです。そのため、戦後間もない頃までは地元のもの、東京であれば遠くても東北地方の石が多く使われていました。しかし現在では他の素材と同様に輸入物も多く、明治〜昭和初期に使用されていた石は一般にはほとんど流通していません。街の石材店で当時の石を購入するのは困難で、ましてや少量の買い付けとなると、かなりの金額になると予想されました。

また現在は手彫りしないので硬ければ硬いほど風化しづらいためいい、みたいな風潮もある気がして、手彫りできる程度の石を探すのが大変でした。

試した石としてはスレート、大理石、火成岩系の石、砂岩系です。小松石の産地である真鶴の方にも行き、当時の石切場や現在の石材屋さんなども見てきました。

素材を探して産地まで回られたのですね。

───最終的にどこの石に決めたのですか?

様々リサーチしていく中で、中国では日本よりも手彫りに近い字彫りの形態が残っており、そこで使われる石が比較的柔らかくそれを購入しました。

購入にあたっても、タオバオという中国系の通販サイトを利用し、現地の方に直接依頼して送ってもらいました。ちょうど日中情勢が不安定になりつつある時期でしたが、とても丁寧に対応していただきました。

視覚伝達デザイン(視デ)の卒業生で現在は書体デザイナーをされている本多育実先生も卒業制作で石に文字を彫られていて、技術面で多くの相談に乗っていただきました。

───大きなサイズの作品もありますが、それも全て石ですか?

大きい方も最初は石で制作しようと試みました。サイズ的にインターネットで販売されていた、銭湯の仕切り板がちょうど使えそうな気がして購入を検討しましたが、材質的に硬いこと、重すぎることから断念しました。

その後ナラセラという会社が出している「彩玉ボード」が特注にて結構な大きさで購入できると知り、社長に電話して注文しました。彩玉ボードはとても柔らかく、木彫の彫刻刀で簡単に彫れます。

めちゃくちゃ大きいパレットごと届いて石じゃないですが、石と変わらないくらい重かったです。

───素材の石が決まってから、形にしていく上で特に工夫したことはありますか?

墓石に見えないようにする、ということはかなり意識をしました。

石に文字を彫っているという時点でかなり墓石に寄ってしまうからです。そのため、彫る文章と展示方法にはかなり気を遣っています。

彫る文章は写研の書体見本で使われる「愛のあるユニークで豊かな書体」のように「永久に続く刻字表現の旅」というコピーを設定しました。「永字八法」と呼ばれる基本の筆運びが含まれているので「永」が入る文章にしました。

展示方法では空間をあえて仕切る形に什器を作り、あえて展示物が一覧できないようにしました。さらにライティングも丁寧に行いました。作品自体が文字だからこそ、その周りを作り込みました。

展示空間も丁寧に作り込んでいたのですね

───什器自体もご自身で作られたとお聞きしました。

はい。どうしても作品を壁面にかけたくて、作品が彫り終わっていない中で高さ9尺(2.7m)の什器を2つ作りました。

作品自体も重量があるので、どうやって安全に自立させるかに苦労しました。

これまで様々な大学の卒業制作展に足を運びましたが、あれほどの高さの什器は見たことがありません。正直なところ、作品そのものよりも自信があります。

細かい話ですが、什器の構造には木材ではなく軽天(壁用の下地材の鉄骨のようなもの)を用いています。これも卒制で使われているのはほとんど見たことがないので、設営中は本当に内装工事の現場のようなカオスな空間でした。

───この作品のなかで自分らしさがでているところはありますか?

文字を書いている点はらしさがあると思います。

テーマ自体は「彫り」なので自分が書かなくてもいいのですが、彫っている文字に関しては全部書いています。特に九成宮醴泉銘の模刻は全臨(古典作品の文字をすべて臨書すること)をしました。全臨の経験は一度しかなく、その一度も王羲之の蘭亭序を半紙6文字と簡単なものです。担当の白井先生には、その全臨した点も評価していただいたので全部書いてよかったなと思っています。

───作品を作り終えてみて、どうでしたか?

文字のことを文字で説明せず、ライティングなどの展示空間の作り込みによって一定の説得力を持たせることは達成できたと思います。鑑賞するために1秒でも立ち止まってもらえたら嬉しいですね。

「文字の三次元」ができるまでのお話ありがとうございました。次にカトタクさんの創作の原点についてもお伺いします。

───カトタクさんがクリエイターを志した原点には、何がありましたか?

恥ずかしいですが高校で勉強についていけなかったからです。もちろん憧れのデザイナーの方への憧れで影響されている部分もありますが。

高校の進路選択にあたり「大学には行きたい!」というのが前提にありました。しかし進研模試でほぼ全ての大学がE判定、勉強で行けるのは付属の部活動活発系の大学しかない、みたいな状況でした。その状態から勉強する気力もなく一旦立ち止まり、将来どういうことを仕事にしたいのかを考えました。

その時に何かものを作る人になりたい、と漠然と思いました。それで色々調べていくとどうやら美大は絵が描ければ入学できる、という情報を入手しました。そして美術予備校に行けば学べると知り、当時のコロナ禍の10万円給付金を元手に、高校3年の夏に美術予備校の夏期講習に参加しました。

───そこから文字をテーマに制作を始めるには何かきっかけがあったのですか?

「絵が描けない」ということが、より文字に対する興味や意識を強めてくれたと思います。

高校3年の夏にデッサン未経験から美術予備校に入りました。当たり前のことですが、そこには絵を描くことが好きで、絵を上手に描ける人がたくさんいました。その環境のなかで「この人たちに負けないぞ!」というより「如何にして受験の手段としての絵を描くか」ということばかりを考えていました。

「絵が描けない」ということは技術的なことももちろんありますが「絵を描く」という行為に対するポジティブな姿勢が自分にはないと感じた部分もあったと思います。

そんな中で、中・高・大学と続けていた習字が、自然と自分らしさみたいなものになっていきました。

───そこでずっと続けてきた習字の話に繋がってくるのですね。

小学生のときから習字をやっていたのですが、元々習い始めたきっかけは単純に自分の字が汚かったからでした。

始めてからも特別上手かった訳でもなく、学年に何人かいる金賞じゃなくて銅賞をとる人でした。そこから進学のタイミングで辞めるきっかけはあったのですが、強い意思はなかったもののなんやかんや続いています。

───そこからデザインとしての文字の興味に気づいたのは、いつ頃からですか?

高校の書道部時代に「文字」への興味を実感したのだと思います。

当時は強豪校にお邪魔して活動する傍らで、譲り受けた古いMacを使い、知識もないまま「プレビュー」で部の勧誘ポスターを作っていました。そのとき、書体によって文字の印象が大きく変わることにとても驚いたんです。

最終的には「筑紫A丸ゴ」と「マキナス」という書体を選びました。

それまでは、書道を極めることだけが文字への関わり方だと思っていましたが「デザイン的な面でも文字と関われるのでは?」と気づかされました。高校時代に一つのやり方に縛られず、視野を広く持って文字に関わったからこそ、上手く書くだけでなく、その背景にある表現の面白さにも興味を持てたのだと思います。

高校時代の書道部がきっかけで、文字とデザインがつながり始めたのですね。

───ムサビの卒入学式の立て看板も文字が特徴的ですが、この活動が始まったきっかけはなんだったのでしょうか?

サークルの新入生勧誘がきっかけです。

自分が設立した「知風」という現在はムサビ公認の書道サークルがあります。当時はまだ非公認で知名度も低く、全然人がいませんでした。入学式でビラを配ってももっと楽しそうなサークルがある中で埋もれてしまうな、というのが感覚でありました。

またその前の年の芸術祭で書道パフォーマンスの作品を展示したのですが、それを見て写真を撮っていく人が結構多かったんですよね。「これだったら入学式の看板を作れば行ける」そう思って作り始めました。最初は卒業式で試して、入学式で本番みたいな感じでした。

そこからだんたん脱線していき今に至ります。

───今ではムサビの恒例となっているこの看板においてのこだわりもお聞きしたいです。

既存書体は使わず自分でデザインした書体を使うか書いた文字を使うということと、木材は一本も買わず廃材を使うことは、一貫して行っています。

回数を重ねるごとに反響もだんだん大きくなっていく気がして、それもあって4年ほど続けることができました。

次にムサビでの大学生活についてお伺いします。

───大学在学中に影響を受けたことはありますか?

やはり「コロナ禍」ですね。

自分が大学に入学した時はまだオンラインメインでサークル活動は原則禁止、図書館は日中に30分消毒のため閉館、飲食店は20時までとかでした。そうなるとバイトもなかなかできないし、通学時間もゼロだし、旅行もできないしで、かなり時間ができます。

だからサークルを作ったりすることができたのだと思います。

───印象に残っている制作や出来事はありますか?

印象に残っている制作はGAKUというアートスクールが開催している中高生メインの講座に参加させてもらったことです。

そのときの講師の方に言ってもらったことは今でも自分の中で印象に残っています。

また中学生の子が感じたり考えたことをストレートにアウトプットしていて、技巧に偏っていた自分をハッとさせてくれました。余談ですがこの時一緒に受講していた中学生が今年、ムサビに入学してきて、嬉しくもあり時の流れを感じました。

───制作中に壁にぶつかった時、なにをしますか?

学校にいるときは校内をフラフラしてました。そうすると40%くらいの確率で誰か知ってる人に会うのでちょっと話して制作に戻ってましたね。家にいる時は制作をやめてご飯を食べるか寝るかです。疲れるので徹夜は基本しません。

───制作していて転機になった作品や出来事はありますか?

転科して基礎デザイン学科から視覚伝達デザイン学科に行ったことは大きな転機だと思います。同じ大学ですが、同級生、先生、授業全部がまったく違っていて、両方の学科の考えを学べたことは間違いなく自分の中の大きな財産です。

───影響を受けた作家はいますか?

作家ではないですがムサビの「共用工作センター」の職員の方々には影響を受けました。

ここで働いてらっしゃる方々は基本ムサビの卒業生で作家活動をしていたり、デザイン事務所と兼業していたりとそれぞれ高い専門性を背景に持っています。そんな方々と時には雑談をしたり、作業を横目に技術を盗んだり、素直に作り方を相談したり。目的もなく手を動かすことのできた時間はとても貴重であったと思います。

カトタクさんご自身についてもお伺いします。

───制作している時のマイルールはありますか?

基本外注しない。

嫌になる前に寝る。

精度はできる限り出す。です。

───最近観た作品の中で、刺さったものはありますか?

作品ではありませんがハラカドの店舗什器が軽天(LGS)でできていて、すごく感動しました。

本来とは違う用途だけどスマートに仕上がってるのを見ると刺さることが多いです。

───最近ハマってるものはありますか?

仕事の関係で蒲田に住んでいるので都心の様々なところを巡ることです。

街のシェアサイクルの最初30分料金がお得で、その時間で行ける距離のところを転々とめぐるのは楽しいですね。

───クライアントワークと自主制作での違いはありますか?

今まで、金銭をいただいてお仕事することはありませんでしたが、今は会社員をしていて、職種的にデザインより企画のウェイトが大きいです。

クライアントワークは積極的に自分から営業せねばとひしひしと感じています。

お仕事のご依頼はいつでもお待ちしております!

───デザイン以外の分野で好きなものはありますか?

車が好きです。どんな車でも運転できるように中型自動車の免許を持っています。

カトタクさんの未来についてもお伺いします。

───これからやってみたいことはありますか?

やってみたいことはたくさんあります!

一番やりたいことは古くて擦れてきた自分の家のお墓の文字を再度彫り直したいです。

また卒入学式の看板に関しても今までの形で継続していくことが難しくなったので、新たな形で継続できないかと現在模索をしています。

最後に、

───これからどんなクリエイターになりたいですか?

ジャンルを問わず他人が作ったものに対して、しっかりと敬意を払えるクリエイターでありたいと思います。就活の時、ある方に「自分はこういう作品は分からない」と言われました。自分は分からなくても「分かろうとする」そんな姿勢は大事にしたいです。

また卒制で研究した字彫りに関しては、「なんかかっこいい」のような抽象的な魅力を追求するとともに、「こういう場面ではこの彫り方が適しているね」といった実利がありデザインにも応用できることを生み出していきたいです。

インタビュー対象者

カトタク

カトタク

デザイナー/刻字家

2002年千葉県生まれ。 2026年武蔵野美術大学 視覚伝達デザイン学科卒業 広告会社のクリエイター職での勤務と並行して文字の立体における可能性を探っている。 日本タイポグラフィ年鑑 入選 公益財団法人日本習字学会 師範科四段取得 公認サークル 書道部知風 設立

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記事執筆者

Akiko Oshima

Akiko Oshima

Interviewer / Designer

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